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大阪地方裁判所 平成6年(行ウ)64号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

津留崎直美

岩永惠子

被告

淀川労働基準監督署長近藤紘司

右指定代理人

岩松浩之

田中泰彦

檜ヶ谷健三

石田雅一

大森康弘

伊藤義行

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対して昭和五八年二月三日付けでした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、原告が、鉄道線路の保守等の業務に従事していた夫の急性心不全による死亡について、労災保険法に基づいて遺族補償給付を請求したところ、被告が、右死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして、右支給をしない旨の処分をしたので、その取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  原告の夫である甲野太郎(昭和一五年一〇月一七日生まれ。以下「太郎」という。)は、昭和四九年五月に大阪府摂津市所在の大鉄工業株式会社(以下「会社」という。)に入社し、以後、昭和五四年一一月まで、日雇いとして吹田営業所に、昭和五四年一二月以後、死亡時まで、嘱託として大阪営業所に所属し、入社以後、死亡時まで、一貫して軌道工として約七年間勤務していた。

2  太郎は、会社にて、軌道工として、鉄道線路の保守を行い、道床交換、軌道整備及び材料交換に従事していた。また、太郎は、作業グループの班長として他の従業員を指揮監督し、従業員を作業現場まで運ぶマイクロバスの運転をしていた。

3  昭和五五年一二月から昭和五六年三月までの間の太郎の賃金台帳上の労働時間は、別表1ないし4記載のとおりである。

4  太郎は、昭和五六年三月二七日午後八時一〇分ころ、北海道山越郡八雲町所在の八雲町社会福祉センターで行われた姪の結婚披露宴に出席中、突然自席の椅子の背もたれに体を押し当てるようにして倒れ、急性心不全により死亡した。

5  原告は、太郎の遺族(妻)として、昭和五七年八月六日付けで被告に対し、遺族補償給付を請求したところ、被告は、原告に対し、昭和五八年二月三日付けで、右死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして、遺族補償給付を支給しない旨の決定をした(以下「本件処分」という。)。

原告は、本件処分を不服として大阪労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をした。しかし、平成二年四月二六日付けでこれを棄却するとの裁決がなされた。

更に、原告は、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、平成六年四月七日付けでこれを棄却するとの裁決がなされ、平成六年四月三〇日、その送達を受けた。

二  争点

本件の争点は、太郎が業務上死亡したか否か、すなわち、太郎の業務と死亡の間の相当因果関係が認められるか否かである。

主として、1 太郎の勤務実態、2 太郎の死因が心筋梗塞であるか否か、3 相当因果関係の判断基準、4 太郎の業務と死亡との相当因果関係の有無が争われた。

(原告の主張)

以下のとおり、太郎は、過酷な過重労働に従事したことから、過労・ストレスが蓄積し、心筋梗塞により死亡したものであって、太郎の業務と死亡との間には相当因果関係が存する。

1 勤務実態

以下のとおり、太郎は過酷な過重労働に従事していた。

(一) 業務内容

太郎は、軌道工として、鉄道線路の保守を行い、道床交換、軌道整備及び材料交換を主として、枕木交換、枕木運搬、枕木下ろし、枕木加工、道床ふるい分け、軌道新設、レール交換、材料置き場整備等の多様な仕事を行い、例えば、約八〇キログラムもあるコンクリート製枕木を運搬するなど、筋肉を酷使する重労働に従事していた。

加えて、太郎は、作業グループの班長として他の軌道工を指揮監督し、精神的緊張を強いられていた。さらに、太郎は、軌道工を作業現場まで運ぶためマイクロバスの運転の仕事にも従事していた。

太郎は会社において、嘱託という身分故に正社員にも増して過酷な労働を強いられており、右のように一人三役として、肉体的のみならず、精神的にもストレスの蓄積する業務に従事していたことが明らかである。

(二) 作業環境

太郎の作業環境は、以下のとおり極めて劣悪であった。

(1) 作業現場はほぼ毎日変わるのが常態であり、その作業現場は、京都から大阪、兵庫まで含む広域に分散していた。

(2) 作業は昼間もあるが、電車の通過しない時間帯に作業をする必要があるため、夜間が主となっている。

(3) 夜間保線作業を行う場合には、終電から始電までの間に、保線工事を終了する必要があり、定められた時間内で作業を行うべき制約があった。

(4) 保線作業には休憩設備がない。

(5) 屋外の作業のため、季節によって、寒暖の差が激しい。

(三) 勤務時間

太郎の勤務時間は、正規には、午前八時三〇分から午後五時三〇分までと定められているが、そのほかに多くの残業と早出があり、特に発症前四か月間のそれは別表1ないし4記載のとおりであって、その実態は、殺人的といわざるを得ないものであった。太郎は、嘱託という不安定な雇用形態の下に、劣悪な労働条件の下で過重な長時間労働を強いられていたのである。

2 発症に至る経緯

(一) 発症前四か月間の勤務状況

発症前四か月間、太郎は、過重な労働に従事していた。

太郎の昭和五五年一二月の勤務状況を見るに、一日から二八日まで休暇はなく、連日毎日八時間以上働き、二日から四日までは、一日一四時間の勤務が三日連続してあり、更に八日は一八時間、九日、一〇日には一四時間勤務するという過重状態にあって、このような長時間労働が、昭和五六年三月二七日の急性死の直前まで継続した。

太郎は、昭和五六年一月は、六日間の正月休みを除き、二五日間休日なしで就労しており、その労働時間は一労働日当たり平均一二時間六分、同年二月は、休日二日のみで、労働時間は一労働日当たり平均一一時間四二分、同年三月も、休日一日で、労働時間は一労働日当たり平均一二時間九分に及んでいた。

(二) 発症直前の状況

太郎は、昭和五六年三月二七日午後八時一〇分ころ急性心不全によって即死したものであるが、太郎の死亡の日時、場所こそ業務中でなかったものの、死亡前日の夕方まで業務に従事しており、既に疾病は業務中に始まっていた。死亡までのわずか一日の間に急性心不全(心筋梗塞)の原因をもたらす他の要因があったものではない。

3 死因

太郎の死因は、心筋梗塞による急性心不全である。

急性死に至る心臓障害として、心筋梗塞、心筋症及び高度の不整脈といった疾患が考えられるが、太郎の即死といわれる状況並びに肥満、軽度の高血圧傾向及び境界型糖尿病などの存在した生前の身体状況に照らして、その死因は、心筋梗塞による急性心不全と認めるのが適当である。

4 判断基準

業務上の疾病であるかどうかは、相当因果関係の有無によって判断すべきであるところ、因果関係の立証は一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる程度の高度の蓋然性を証明することであり、その立証の程度は、通常人が疑いを差し挟まない程度の真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるというべきである。

本件では、死をもたらすに至った疾患の病名そのものが争点ではなく、業務と死亡との因果関係の有無が争点である。このような場合、病名の確定は、因果関係が判断できる程度で十分であって、一番可能性が大きい疾患の病名で判断することに何の不都合もない。

被告は、相当因果関係の判断を、労働基準局長の通達に過ぎない昭和六二年の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準」(昭和六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号通達。以下「昭和六二年認定基準」という。)によるべきとしており、不当である。

また、昭和六二年認定基準のように、死亡前日やせいぜい一週間前までにその原因性を限定しようということは医学的に誤りである。

5 業務と死亡との相当因果関係

太郎は、過労、ストレスが蓄積する過酷な過重労働に従事したことから、心筋梗塞により死亡したものであって、太郎の業務と死亡との間には相当因果関係がある。

太郎は、保線作業員として労働しながら、従業員の運転手及び現場監督者としての業務もこなしていたのみならず、連日にわたる深夜勤務を含む長時間労働に携わり、重量物を常に扱い、列車の通過する線路上での作業であるため常に緊張を余儀なくされ、しかも、死亡前数か月間は野外・寒冷地での作業をするなどして、過酷で過重な業務に従事したため、疲労が蓄積し、極度の過労とストレスの状態にあった。

太郎の死亡は、太郎の日常作業における重量物取り扱いを中心とする筋肉労働が、胸腔の内圧を高め、血圧を上昇させ、その繰り返しが動脈壁の弾力を失わせて動脈硬化を促進し、その影響が冠状動脈に及びその硬化が心筋梗塞の基礎的要因となっていたところに、右のような過労、ストレスが極限に達し、心筋梗塞を引き起こしたことによって生じたものである。

なお、心筋梗塞に限らず、虚血性心疾患であれば、心筋梗塞と同様過労・ストレスの影響を受けるのであるから、その範囲のどの病名であっても相当因果関係を認めることができる。

(被告の主張)

以下のとおり、太郎の業務は過酷・過重なものではなく、太郎の死因は心筋梗塞と認められず、業務による過労・ストレスと死亡との因果関係が明らかでないから、業務と死亡との間に相当因果関係は認められない。

1 勤務実態

以下のとおり、太郎の業務は、過酷・過重なものではなかった。

(一) 業務内容

太郎は、班長として、作業現場における監督、進行管理、軌道工への指示、工事指揮者との作業打ち合わせ等を主な業務としたことから、軌道工として労作業自体に従事する割合は少なくなっており、重労働ではなかった。

(二) 作業環境

確かに、太郎は、深夜、野外で、冬季においては寒冷にさらされて作業を遂行することもあった。しかし、太郎は約七年間こうした作業に従事していたのであり、太郎自身それに対する防護対策は十分にとっていたのであるし、使用者側も相当の設備を設けて対応していた。

(三) 勤務時間

確かに、太郎の賃金台帳から見た労働時間は、別表1ないし4記載のとおり、相当長時間にわたっていることが窺われる。しかし、これは、実労働時間と一致せず、以下の事情に鑑みれば、異常な長時間労働とまでいうことはできない。

即ち、太郎の正規の勤務時間は、日勤の場合、始業午前八時から終業午後四時までで、そのうち、休憩が六〇分あるため、拘束時間は八時間、実労働時間は七時間である。夜勤の場合は、始業午後一〇時から終業午前四時までで、そのうち、休憩が六〇分あるため、拘束時間は六時間、実労働時間は五時間である。実際の夜勤作業は、列車の運行しない時間帯に作業を行うことから、午前〇時ないし午前一時から作業に着手するのが通常であった。

また、所定時間内に予定の作業が完了した場合も所定の時間就労したものとして、賃金が支払われていた。

2 発症に至る経緯

以下のとおり、太郎は、発症前一週間は過重な業務に従事しておらず、発症当日は休暇中であった。

(一) 発症前一週間の勤務状況

太郎は、賃金台帳上の労働時間によれば、死亡する一週間前の昭和五六年三月二一日土曜日は、日勤八時間を勤め、翌二二日日曜日は勤務していない。翌二三日月曜日は日勤八時間及び夜勤六時間を勤め、翌二四日火曜日は日勤八時間のみ勤務し、翌二五日水曜日は日勤八時間及び夜勤六時間を勤めた。

(二) 発症前日の勤務状況

太郎は、死亡する前日の昭和五六年三月二六日木曜日は、軌道作業には従事しておらず、会社幹部が集まる会議の手助けとして、会議場の最寄りの駅から会議場へ幹部をマイクロバスで送迎する仕事に従事し、夕方には帰宅し、翌日の結婚披露宴参加のため食後直ぐに就寝した。

(三) 発症当日の状況

太郎は、昭和五六年三月二七日金曜日は休暇を取り、同日午前七時三〇分ころ自宅を出て、同日午前八時三〇分ころの大阪国際空港発の飛行機に搭乗し、昼前に千歳空港に到着し、列車で八雲駅に至り、同日午後二時過ぎころ太郎の実兄宅に着いた。その後、同日午後六時から北海道山越郡八雲町所在の八雲町社会福祉センターにおいて行われた姪の結婚式に参列し、その後軽い夕食をとったうえ、同日午後七時三〇分からの披露宴に出席した。

太郎は、披露宴の最中である同日午後八時一〇分ころ、学生時代の恩師と歓談をした後自分の席に戻ってくるなり、椅子の背もたれの部分に体を押し当て二つ折れの状態で崩れた。

太郎は、直ちに、救急車で病院に収容されたが、既に死亡していた。

3 死因

以下のとおり、太郎の急性心不全の原因となった疾患が心筋梗塞である可能性は低い。

(一) 心筋梗塞の中には本件のような即死に近い状況で死に至るものもあり得るが、数時間の余裕がある場合も多いのであり、瞬間死が特に心筋梗塞に特徴的な兆候であるとはいえない。

(二) 心筋梗塞発症の三大リスクファクター(危険因子)としては、一般に、肥満、高血圧、高脂血症が挙げられ、更に喫煙や飲酒もリスクファクターとして挙げられる。そこで、太郎の生前の身体の状況から、心筋梗塞の危険因子の存在及びその程度について、検討するに、以下のとおり、心筋梗塞を発症させ得るようなものとは到底いえない。

(1) 肥満について

太郎が、やや肥満型であったとしても、心筋梗塞のリスクファクターたり得るほどの肥満であったとはいえない。その上、体重は死亡するまでの間、順次改善されていた。

(2) 高血圧について

太郎の血圧は、昭和五二年一二月八日には、一四〇/八八、五三年一一月三〇日には、一四〇/九五で拡張期高血圧であったが、その後、太郎の血圧は標準的であって、昭和五五年一一月七日の死亡直近の数値も一二〇/六六と異常はなかった。

(3) 糖尿病について

昭和五三年一一月三〇日の定期健康診断において尿糖+であり、同年一二月一八日の糖負荷検査で限界(境界)型糖尿病と診断されたが、その後の定期健康診断では、尿糖の検出がない。

(三) 太郎の心臓突然死の原因が、心筋梗塞であったか否かは、心筋梗塞の診断に関わる症状、検査所見、剖検所見が全く得られていないので、臨床的には不明であって、原因を特定することができない。

4 判断基準

業務上の疾病であるか否かの認定は、昭和六二年認定基準に基づいてなされるべきである。

昭和六二年認定基準の本件に関連する部分は、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の業務起因性に関し、要旨次のとおり定めている。

(一) 次の(1)及び(2)のいずれの要件をも満たす脳血管疾患及び虚血性心疾患等が業務に起因することの明らかな疾病として取り扱われる。

(1) 次に掲げるイ又はロの業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められること。

イ (略)

ロ 日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと。

(2) 過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が、医学上妥当なものであること。

(二) 右にいう「過重負荷」とは、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態(血管病変等)をその自然経過を超えて急激に著しく増悪させうることが医学経験則上認められる負荷をいう。ここでの自然経過とは、加齢、一般生活等において生体が受ける正常の要因による血管病変等の経過をいう。

(三) (略)

(四) また、右にいう「日常業務に比較して、特に過重な業務」とは、通常の所定の業務内容等に比較して特に過重な精神的、身体的負荷を生じさせたと客観的に認められる業務をいい、その判断については、次によること。

(1) 発症に最も密接な関連を有する業務は、発症直前から前日までの間の業務であるので、この間の業務が特に過重であると客観的に認められるか否かを、まず第一に判断すること。

(2) 発症直前から前日までの間の業務が特に過重であるとは認められない場合であっても、発症前一週間に過重な業務が継続している場合には、急激で著しい増悪に関連があると考えられるので、この間の業務が特に過重であると客観的に認められるか否かを判断すること。

(3) 発症前一週間より前の業務については、急激で著しい増悪に関連したとは判断し難く、発症前一週間以内における業務の過重性の評価に当たって、その付加的要因として考慮するにとどめること。

(4) 過重性の評価に当たっては、業務量のみならず、業務内容、作業環境等を総合して判断すること。

右認定基準は、業務負荷の原因力を考察する上で、疾病発症に近い時期のものほど、影響の度合いが大きいことを踏まえて、疾病罹患の時期から遡って、業務負荷の影響を考察しようとするものであって、合理的なものである。

5 業務と死亡との相当因果関係

前記1(勤務実態)のとおり、太郎の従事していた業務は、原告主張のように過酷・過重なものではなかった。仮に、太郎の業務が原告主張のような過酷・過重なものであれば、他の軌道工の中に同様の症状あるいは疾病を発症しているものがいるはずであるが、そのような例はなかった。また、原告の主張するように太郎の長期にわたる業務が疲労を蓄積させたのであれば、太郎には死亡前に何らかの身体的異常が生じ、リスクファクターの悪化等の兆候が見られてしかるべきであるが、そのような事情は見当たらない。

そして、昭和六二年認定基準に従って、検討するに、前記2(発症に至る経緯)のとおり、死亡直前一週間は夜勤も少なく、休暇も取得しており、前日は日勤で夕方には帰宅し、死亡当日は結婚披露宴に出席していることなど、死亡直前に特に過酷・過重な業務に従事していたとはいえない。

また、前記3(死因)のとおり、太郎の死因は心筋梗塞と認めることができないし、原告の主張する過労・ストレス、筋肉労働と心筋梗塞あるいは虚血性心疾患の因果関係は医学的に明らかでない。

以上、太郎の業務は過酷・過重なものではなく、太郎の死因は心筋梗塞と認められず、業務による過労・ストレスと死亡との因果関係が明らかでないから、太郎につき、業務と死亡との間に相当因果関係が認められない。

第三争点に対する判断

一  前記争いのない事実及び証拠(〈証拠・人証略〉)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  太郎の経歴(争いがない事実)

太郎(昭和一五年一〇月一七日生まれ)は、昭和四九年五月に会社に入社し、以後、昭和五四年一一月まで、日雇いとして吹田営業所に、昭和五四年一二月以後、死亡時まで、嘱託として大阪営業所に各所属し、入社以後、死亡時まで、一貫して軌道工として約七年間勤務していた。

2  勤務実態(〈証拠・人証略〉)

(一) 業務内容

太郎は、軌道工班長として、以下の三つの業務に従事していた。

(1) 軌道工としての現場作業

軌道工としての現場作業は、主に以下の三つに分類される。なお、太郎は、次項記載の班長としての業務があったことから、軌道工としての現場作業は、他の軌道工の六割程度になっていた。

ア 道床交換

道床(線路の盛土部)に敷き詰められている砕石(バラスト)をツルハシ等を使って掘り起こし、新しい砕石に交換する作業

イ 軌道整備

検測車によって、レールの曲がり等の調整を要するとされた箇所を補修する作業

ウ 材料交換

枕木、レール、分岐器等を交換する作業

(2) 班長としての業務

工事指揮者との作業打ち合わせ、軌道工への指示、作業現場における監督、進行管理等である。

(3) 運転手としての業務

会社と現場間の作業員輸送のためのマイクロバス運転業務で、その範囲は、大阪、兵庫、京都にわたった。

(二) 作業環境

太郎の作業環境は、以下のとおり一般労働者に比して劣っていたが、軌道工の作業環境としては、一般的なものであった。

(1) 作業現場は、京都から大阪、兵庫までの旧国鉄沿線で、ほぼ毎日変わった。

(2) 作業は昼間もあるが、電車の通過しない時間帯に作業をする必要があるため、夜間が主となっている。

(3) 夜間保線作業を行う場合には、終電から始電までの間に、保線工事を終了する必要があり、定められた時間内で作業を行うべき制約があった。

(4) 保線作業には休憩設備がない。

(5) 屋外の作業のため、季節によって、寒暖の差が激しい。

(三) 勤務時間

太郎の就業規則上の勤務時間は、日勤の場合、始業午前八時から終業午後四時まで、夜勤の場合は、始業午後一〇時から終業午前四時までであった(〈証拠略〉)。

右就業規則に則り、賃金台帳上は、日勤のときは八時間、夜勤のときは六時間の勤務が基本(以下「基本勤務」という。)とされ、実際の労働時間がこれより短かった場合にも、右基本勤務の時間労働したものとして賃金が計算されていた。太郎は、右基本勤務に従事することが多かったが、超過勤務をすることもあった。

基本勤務は、概ね以下の内容であった。

(1) 日勤

ア 午前八時三〇分

大阪営業所に集合し、作業前の点呼をして、当日の作業を指示する。

イ 午前八時四〇分

マイクロバスで現場へ出発する。

ウ 午前一〇時

現場に到着し、作業を開始する。

エ 午前一一時三〇分

午前中の作業が終了し、昼食休憩となる。

オ 午後一時

作業を再開する。

カ 午後二時三〇分

現場での作業を終了する。遅くとも午後三時には現場作業が終了することがほとんどであった。

キ 午後四時

大阪営業所に戻り、解散する。

以上のとおり、日勤の基本勤務では、実際の労働時間は六時間、実際の現場での日勤作業は三時間から三時間三〇分程度であった。

(2) 夜勤

ア 午後一一時

大阪営業所に集合し、作業前の点呼をして、当日の作業を指示する。

イ 午後一一時一五分

マイクロバスで現場へ出発する。

ウ 午前〇時

現場に到着し、準備作業に着手する。午前〇時から一時までの間に通過する最終列車を待って、軌道内での作業を始める。

エ 午前三時

現場での作業が終了する。遅くとも午前三時三〇分までには終了するのがほとんどであった。

オ 午前四時

大阪営業所に戻り、解散する。

以上のとおり、夜勤の基本勤務では、実際の労働時間は五時間、実際の現場での夜勤作業は二時間三〇分から三時間であるのが普通であった。

3  発症に至る経緯

(一) 発症前四か月間の勤務状況

太郎の発症前四か月間の賃金台帳上の労働時間は、別表1ないし4記載のとおりであって、これを月別にまとめると以下のとおりである(争いのない事実)。

(1) 一二月

労働日数 二八日

総労働時間 三〇五時間三〇分

一労働日当たりの平均労働時間 約一〇時間五五分

昼夜連続勤務回数 一二回

(2) 一月

労働日数 二五日

総労働時間 三〇二時間三〇分

一労働日当たりの平均労働時間 一二時間〇六分

昼夜連続勤務回数 一四回

(3) 二月

労働日数 二七日

総労働時間 三一六時間

一労働日当たりの平均労働時間 約一一時間四二分

昼夜連続勤務回数 一四回

(4) 三月

労働日数 二四日

総労働時間 二九一時間三〇分

一労働日当たりの平均労働時間 約一二時間〇九分

昼夜連続勤務回数 一四回

しかし、右賃金台帳上の労働時間は、日勤八時間、夜勤六時間の基本勤務として算定された部分が多く、前記2(三)(勤務時間)のとおり基本勤務においては、概ね実際の労働時間は、日勤で二時間、夜勤につき一時間短か(ママ)く、現場で軌道作業自体に従事した時間は更に短か(ママ)かった。

また、会社の他の軌道工及び軌道工班長も賃金台帳上は長時間労働、昼夜連続勤務に従事しており、太郎のみが右のような勤務状況であったわけではなかった(〈証拠略〉)。

(二) 発症前約一週間の勤務状況(争いのない事実、〈証拠略〉)。

太郎は、賃金台帳上の労働時間としては、昭和五六年三月二〇日金曜日及び翌二一日土曜日は日勤八時間を勤め、翌二二日日曜日は勤務していない。翌二三日月曜日は日勤八時間及び夜勤六時間を勤め、翌二四日火曜日は日勤八時間勤務し、翌二五日水曜日は日勤八時間及び夜勤六時間を勤めた。

この間の気候に異常はなく、季節的には冬の寒さは峠を越していた。

(三) 発症前日の状況(〈証拠略〉)

太郎は、死亡する前日の昭和五六年三月二六日木曜日は、軌道作業には従事しておらず、会社幹部が集まる会議のため、会議場の最寄りの駅から会議場へ幹部をマイクロバスで送迎する仕事に従事し、右送迎の仕事が終了して車庫入りしたのは午後三時三〇分であった。太郎は、夕方には帰宅し、翌日の結婚式の出席に備えて夕食の後直ぐに就寝した。

(四) 発症当日の状況(〈証拠略〉)

太郎は、昭和五六年三月二七日金曜日は休暇を取り、同日午前七時三〇分ころ自宅を出て、同日午前八時三〇分ころの大阪国際空港発の飛行機に搭乗し、昼前に千歳空港に到着し、列車で八雲駅に至り、同日午後二時過ぎころ太郎の実兄宅に着いた。その後、同日午後六時から北海道山越郡八雲町所在の八雲町社会福祉センターにおいて行われた姪の結婚式に参列し、その後軽い夕食をとったうえ、同日午後七時三〇分からの披露宴に出席した。

太郎は、披露宴の最中である同日午後八時一〇分ころ、学生時代の恩師と歓談をした後自分の席に戻ってくるなり、椅子の背もたれの部分に体を押し当て二つ折れの状態で崩れた。

太郎は、直ちに、救急車で、同町所在の西亦外科胃腸科に収容されたが、急性心不全によって、既に死亡していた。

検死の結果、太郎の血中アルコール濃度は、〇・一五パーセント(血液一ミリリットルにつき、一・五ミリグラム)であった。

4  太郎の生前の健康状態(〈証拠・人証略〉)

(一) 太郎は、昭和五二年一二月から昭和五五年一一月まで六回の定期健康診断を受けており、その結果は、以下のとおりであるほかに、他に特記すべき異常所見はない。

(1) 拡張期高血圧

太郎の血圧は、昭和五三年一一月三〇日には、一四〇/九五で拡張期高血圧であったが、その後太郎の血圧は標準的であって、昭和五五年一一月七日の死亡直近の数値も一二〇/六六と異常はなかった。

(2) 限界(境界)型糖尿病

昭和五三年一一月三〇日の健康診断において尿糖+であり、同年一二月一八日の糖負荷検査で限界(境界)型糖尿病と診断されたが、その後の健康診断では、尿糖の検出がない。

(二) 太郎の体重は、昭和五五年一一月七日時点で、五九キログラムであった。

(三) 太郎は、二日で一箱位喫煙し、ビール大瓶一本位を晩酌をし、職場でも飲酒し、休日には朝から飲酒していたこともあった。

なお、(証拠・人証略)中、右認定に反する部分は、あいまいな点があり、前掲各証拠に照らしてにわかに採用できない。

二  心筋梗塞(〈証拠・人証略〉)

急性心筋梗塞は、病理学的には心筋を灌流する冠状動脈が閉塞して血流が途絶あるいは高度に血流が低下して、心筋に虚血が長時間続いた結果、心筋に不可逆的な壊死を生ずる疾患であり、経過中に一〇ないし三〇パーセントの患者が死亡すると推定されている。その発症の病理学的原因は、現在では、動脈硬化によって生じた冠動脈の粥腫(プラーク)の血管内膜面に亀裂が生じ、二次的に生体反応としてそこに血栓が形成され、冠動脈を閉塞すると考えられている。急性心筋梗塞の臨床的な病因に関しては、疫学的研究により、高脂血症(特に高コレステロール血症)、糖尿病、高血圧、喫煙、高尿酸血症、肥満、性格(ストレスに対するA行動パターン)などがリスクファクター(危険因子)となることが知られている。アルコールについては、少量から中等量のアルコールはリスクファクターとしては作用せず、むしろ良い作用をするという見解が有力であるが、高用量のアルコールはリスクファクターになる。

急性心筋梗塞の基礎疾患である動脈硬化は加齢を基礎にしてすべての人間に生ずるものであり、早い人では就学前より動脈硬化の初兆が見られることが病理学的検討の結果に示されており、たとえリスクファクターが存在しなくとも、動脈硬化、ひいては心筋梗塞の発症を完全に予防することはできないといえ、臨床的に明らかなリスクファクターを有さない心筋梗塞患者は散見される。

ストレスの原因としては、過労等、職業上の原因に限定されず多様な原因が考えられ、その程度も多様と考えられることから、動脈硬化の促進及び心筋梗塞を含む虚血性心疾患の発症にストレスの影響が存在することはほとんどの医師が認容しつつも、その寄与の程度については一般的な結論は下し難く、具体的事例において個別的に判断しなくてはならない。

なお、心筋梗塞のリスクファクターと虚血性心疾患一般のリスクファクターは、ほぼ同一であると考えられている。

三  医師の意見

太郎の業務と死亡との因果関係に関する医師の意見は、以下のとおりである。

1  医師田尻俊一郎の意見(〈証拠・人証略〉以下「田尻意見」という。)

急性心不全の原因としては、心筋梗塞、心筋症及び高度の不整脈が考えられるが、太郎の生前の身体状況である肥満、軽度の高血圧傾向、境界型糖尿病などの存在からは、心筋梗塞を疑うのが医学的にもっとも常識的である。太郎が長期にわたって従事してきた過酷な労働が、右リスクファクターを強めて、自然的経過に比し著しく急速に冠状動脈の硬化を早め、心筋梗塞を招くに至った。

太郎は、会社において、保線作業員として労働しながら、従業員の運転手及び現場監督者としての業務もこなしていたのみならず、連日にわたる深夜勤務を含む長時間労働に携わり、重量物を常に扱い、列車の通過する線路上での作業であるため常に緊張を余儀なくされ、しかも、死亡前数か月間は野外・寒冷地での作業をするなどして、過酷で過重な業務に従事したため、疲労が蓄積し、極度の過労とストレスの状態にあった。

太郎の死亡は、太郎の日常作業における重量物取り扱いを中心とする筋肉労働が、胸腔の内圧を高め、血圧を上昇させ、その繰り返しが動脈壁の弾力を失わせて動脈硬化を促進し、その影響が冠状動脈に及びその硬化が心筋梗塞の基礎的要因となっていたところに、右のような過労、ストレスが極限に達し、心筋梗塞を引き起こしたことによって生じたものである。

なお、心筋梗塞に限らず、虚血性心疾患であれば、心筋梗塞と同様過労・ストレスの影響を受けるのであるから、その範囲のどの病名であっても因果関係を認めることができる。

2  医師田内潤の意見(〈証拠・人証略〉以下「田内意見」という。)

急性心不全の原因としては、心筋梗塞、心筋症及び高度の不整脈が考えられる。

心筋梗塞であるか否かは、胸痛、心電図の特徴的な変化、血液学的検査で診断されるが、本件では、かかる検査がなされておらず、剖検もなされていないので、臨床的には、不明である。統計的には、心臓突然死に占める虚血性心疾患の割合は、三〇代で三六パーセント、四〇代で六八パーセント、五〇代で八〇パーセントを占め、加齢とともに急増していることから、発生頻度の検討には年齢を考慮する必要がある。太郎の年齢(四〇歳)を考慮すれば、統計的には、太郎の死因は、心筋梗塞を含む虚血性心疾患である可能性が五〇パーセント程度と推定される。

心筋症の可能性は、二五パーセント程度である。心筋症の中では、肥大型心筋症、アルコール性心筋症の可能性がある。肥大型心筋症の原因について遺伝子異常によるものであることが分かっているのが五〇パーセント、その他については原因が分かっていない。アルコールには心毒性があり、大酒家では慢性アルコール摂取による心機能障害、すなわち、アルコール心筋症を来しうることが知られており、大酒家突然死症候群が提唱されているところ、太郎が、休日には朝から飲酒していたこともあったこと、職場で飲酒していたこと及び死亡時の血中アルコール濃度が〇・一五パーセントと高濃度であったことから、太郎の死因が、大酒家突然死症候群であった可能性も十分考えられる。

突発性高度不整脈については、原因は解明されておらず、経験的に発生頻度は少なく、可能性は低いと思われるが、否定はできない。

右の統計的考察からは、突然死した太郎の死因が急性心筋梗塞を含む虚血性心疾患であった可能性は、相対的に高いが、太郎の年齢を考慮すれば、アルコールや他の心疾患が原因であった可能性を考慮外とするほどの数字ではなく、他の原因であった可能性も少なからず存在すると思われる。

3  医師小林敬司の意見(〈証拠略〉以下「小林意見」という。)

検死結果は、血中アルコール濃度〇・一五パーセントであった。一般的には、アルコール濃度〇・一パーセントでは軽い酩酊状態となり、陽性、多弁、自制心欠如などの変化が見られ、感覚が鈍り始め、呼吸数脈拍数は増加する。〇・二パーセント前後からは、大脳や小脳の機能抑制が見られ、運動失調、知覚鈍麻、言語不明等が出現するとされ、太郎の血中アルコール濃度〇・一五パーセントは、その中間的な状態にあったものと推測される。アルコールそのものが突然死の直接の原因とはいえないが、通常の身体的状態ではなかった様子である。

次に、業務の過重性による突然死について検討するも、勤務時間、勤務状況等は一般勤労者に比し、その過重性は否定できない。しかし、会社における同職種労働者と比し、太郎のみが特別に過重であったとする証拠はなく、かつ、死亡前一〇日間ほどの勤務は、それまでに比しかなり軽減されており、死亡前日は、昼勤で現場作業にはついておらず、定刻に帰宅している点等から考え、生来比較的健康であった太郎が突然死(急性心不全)を来すに至るほどの業務過重性が持続していたとは考え難い。

すなわち、本件は医学的証拠の少ない事案であり、急性心不全、急性心停止にしても、不整脈死(心室細動等)、急性心筋梗塞死をはじめ、急性副腎機能不全死など多種多彩にわたる病因が考えられるが、それらを同定するのは困難で、特異体質等についての検討もできていないが、太郎の場合、死亡直前は業務遂行中でなく、かつ、業務による特別な過重性が持続していたとは考えられず、唯一の身体的状況証拠として血中アルコール濃度〇・一五パーセントの飲酒状態であって、久方ぶりの北海道への旅行、親族の結婚式及び披露宴への出席、親族や恩師との歓談などが、何らかの形で関与して、心停止を偶発させた引き金の一端となったものと考えられ、太郎の死亡と業務に関わる相当の医学的因果関係は乏しいものと思われる。

4  医師白井嘉門の意見(〈証拠略〉以下「白井意見」という。)

太郎の鉄道補修作業の就労状況において、若干労働過重とは考えられるものの、その労働自体が心臓疾患を招くものとは考えられない。また、定時の健康診断における血圧の推移を見ても、その労働が既存の高血圧を有意に増悪したとは考え難い。よって、本人の体質による偶発した心臓突然死と思われる。

四  死因

原告は、太郎の即死といえる死亡状況、生前の身体状況である肥満、軽度の高血圧傾向及び境界型糖尿病などの心筋梗塞発症のリスクファクターの存在からは、心筋梗塞を疑うのが医学的にもっとも常識的であると主張するので、検討する。

(一)(ママ) 太郎の即死といえる死亡状況については、田内意見及び小林意見によれば、心筋梗塞を含む虚血性心疾患でなくとも、心筋症、高度不整脈等の急性心不全であれば、かかる死亡状況を来すのであって、急性心不全であること以上に死因を特定する根拠とはならないものと認められる。

(二)(ママ) 田尻意見は、太郎の生前の身体状況である肥満、軽度の高血圧傾向、境界型糖尿病などの心筋梗塞発症のリスクファクターの存在からは、心筋梗塞を疑うのが医学的にもっとも常識的であるとする。

前記二(心筋梗塞)認定のとおり、心筋梗塞発症のリスクファクターとしては、肥満、高血圧及び高脂血症が挙げられる。

しかし、前記一4(太郎の生前の健康状態)で認定した、太郎の生前の身体の状況によれば、太郎がやや肥満型であったとしても、心筋梗塞のリスクファクターたり得るほどの肥満であったとまでは認めることができないこと、太郎の血圧は、昭和五三年一一月三〇日には、一四〇/九五で拡張期高血圧であったが、その後太郎の血圧は標準的であって、昭和五五年一一月七日の死亡直近の数値も一二〇/六六と異常はなかったこと、昭和五三年一一月三〇日の健康診断において尿糖+であり、同年一二月一八日の糖負荷検査で限界(境界)型糖尿病と診断されたが、その後の健康診断では尿糖の検出がないこと、太郎の長期にわたる業務が疲労を蓄積させ、リスクファクターを強めたのであれば、太郎には死亡前に何らかの身体的異常が生じ、リスクファクターの悪化等の兆候が見られてしかるべきであるが、そのような事情が見当たらないことを考慮すると、生前、太郎には、死因を心筋梗塞と認めうる程のリスクファクターが存在していたとは認められない。したがって、右田尻意見は採用できない。

以上によれば、太郎の死亡状況及びリスクファクターの存在から太郎の死因が心筋梗塞を含む虚血性心疾患であったと断定する原告の主張は採用できない。

もっとも、田内意見によれば、太郎の死因は、医学上臨床的に断定することができないものの、心臓突然死であることから、確率的には、心筋梗塞を含む虚血性心疾患によるものである可能性が、他のいずれの疾病による可能性よりも高く、その割合は、五〇パーセントであることが認められる。

五  因果関係の判断基準

労災保険法に基づき遺族補償給付を求めることができるのは、労働者が業務上死亡した場合であるところ(同法七条、一二条の八、労働基準法七九条、八〇条)、死亡が業務上のものであるというためには、業務と死亡との間に相当因果関係が認められなければならない。

訴訟上の因果関係の立証は一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる程度の高度の蓋然性を証明することであり、その立証の程度は、通常人が疑いを差し挟まない程度の真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるというべきである(最高裁昭和四八年(オ)第五一七号、昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集二九巻九号一四一七頁参照)。

被告は、昭和六二年認定基準の「発症前一週間より前の業務については、急激で著しい増悪に関連したとは判断し難く、発症前一週間以内における業務の過重性の評価に当たって、その付加的要因として考慮するにとどめること。」とする部分を引用するが、当該部分は、平成七年二月一日付け基発第三八号において、「発症前一週間より前の業務については、この業務だけで血管病変等の急激で著しい増悪に関連したとは判断し難いが、発症前一週間以内の業務が日常業務を相当程度超える場合には、発症前一週間より前の業務を含めて総合的に判断すること。」と改められており、これに証人田内の証言を加えると、被災者の発症前一週間より前の業務の影響を、昭和六二年基準のように厳格に限定する医学的根拠はないものと認められる。

もっとも、業務の負荷と発症とが時間的に対応しているかどうかを検討することは、経験則に照らして全証拠を総合検討し因果関係を認定するに当たっての、基本的な分析であるというべきであって、業務の負荷の時間的推移と発症経過が対応せず、そのことが合理的に説明できない場合には、経験則上、因果関係の認定につき消極要素となるものと考えられる。

六  太郎の業務と死亡との相当因果関係について

(一)(ママ) 原告は、太郎は、保線作業員として労働しながら、従業員の運転手及び現場監督者としての業務もこなしていたのみならず、連日にわたる深夜勤務を含む長時間労働に携わり、重量物を常に扱い、列車の通過する線路上での作業であるため常に緊張を余儀なくされ、しかも、死亡前数か月間は野外・寒冷地での作業をするなどして、過酷で過重な業務に従事したため、疲労が蓄積し、極度の過労とストレスの状態にあったものであり、太郎の死亡は、太郎の日常作業における重量物取り扱いを中心とする筋肉労働が、胸腔の内圧を高め、血圧を上昇させ、その繰り返しが動脈壁の弾力を失わせて動脈硬化を促進し、その影響が冠状動脈に及びその硬化が心筋梗塞の基礎的要因となっていたところに、右のような過労、ストレスが極限に達し、心筋梗塞を引き起こしたことによって生じたものである旨主張する。

太郎の死因が、医学上臨床的に心筋梗塞であると断定することができないことは、前記四(死因)認定のとおりであるが、原告は、因果関係の立証は一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる程度の高度の蓋然性を証明することで足り、本件では、死をもたらすに至った疾患の病名そのものが争点ではなく、業務と死亡との因果関係の有無が争点であって、このような場合、病名の確定は、因果関係が判断できる程度で十分である旨主張するので、右四(死因)認定のとおり、太郎の死が、確率的には、心筋梗塞を含む虚血性心疾患によるものである可能性が、他のいずれの疾病による可能性よりも高く、その割合が五〇パーセントであることを前提に、経験則に照らして全証拠を総合検討し、相当因果関係の有無を検討する。

(二)(ママ) 前記一(勤務実態)認定事実によれば、確かに、太郎の発症前四か月間における勤務状況は、長時間労働、夜間作業、肉体労働、屋外労働を含み、一般勤労者に比し、その過重性は否定できない。しかし、以上に認定してきたとおり、会社における同職種労働者に比し、太郎のみが過重な業務に就いていたとは認め難く、同職種労働者に同様の症状あるいは疾病を発症している者がいるという証拠もないこと、太郎は長期にわたって軌道工としての業務に従事しているにも関わらず、その健康状態に悪化が見られないこと、死亡に至る経緯としては、太郎自身の業務と比較しても、発症前一週間ほどの勤務は、それまでに比し、かなり軽減されており、夜勤も少なく、休暇も取得しており、気候に異常はなく、冬の寒さも峠を越していること、発症前日は、昼勤で会議出席者の送迎の仕事に従事したのみで、現場作業には従事しておらず、午後三時三〇分には勤務を終えていること、発症当日は、姪の結婚披露宴出席のため、休暇を取ってはるばる大阪から北海道へ赴き、発症時の現場は、結婚披露宴会場であって、死亡時の血中アルコール濃度が高かったこと及び太郎の死因が心筋梗塞を含む虚血性心疾患によるものである可能性が五〇パーセントであることに照らせば、太郎の業務が死に至るほどの過労・ストレスをもたらすほど過酷・過重であったとは認められず、発症前に業務の負荷が軽減されていたことから、業務を発症の契機とみるよりも、むしろ、他の原因により疾病が発症し、急性心不全により死亡するに至ったと考えるのが自然である。

(三)(ママ) 田尻意見は、前記(一)の原告の主張に沿うが、右は、本件業務がことさらに過酷なものであるとの前提に立つものであるが、そもそも、その前提を採用しえないこと、また、ストレスの原因としては、過労等、職業上の原因に限定されず多様な原因が考えられ、その程度も多様と考えられるにもかかわらず、右は、業務上の過労、ストレスと心筋梗塞の関係を単純化した一般論を述べているに過ぎないというべきであること、さらに、筋肉労働と心筋梗塞との関係については、筋肉労働に従事するものが必ず心筋梗塞になるわけではないにもかかわらず、右は、筋肉労働が一般的抽象的に可能性として心筋梗塞発症の危険性を有している旨を論じているに過ぎないというべきであることからみて、説得力を欠き、右田尻意見は、採用できない。

(四)(ママ) したがって、太郎の業務と死亡との相当因果関係を認めることができない。

七  以上の次第で、太郎の死亡は業務上のものと認められないとしてした本件処分は正当であり、原告の請求は理由がない。

(裁判長裁判官 中路義彦 裁判官 西﨑健児 裁判官 仙波啓孝)

別表1 昭和五五年一二月分

〈省略〉

別表2 昭和五六年一月分

〈省略〉

別表3 昭和五六年二月分

〈省略〉

別表4 昭和五六年三月分

〈省略〉

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